額田王とはどのような人物?『万葉集』に多くの歌を残した女流歌人の生涯【親子で歴史を学ぶ】

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「額田王(ぬかたのおおきみ)」は飛鳥時代に活躍した歌人です。万葉集に多くの歌が残っている他、2人の天皇に愛されたことでも知られています。才能あふれる女性歌人の生涯を、有名な和歌「あかねさす」とともにたどっていきましょう。

「額田王」とは?

額田王(ぬかたのおおきみ)」に関する資料は、非常に少なく、生没年や両親についても詳しいことは分かっていません。しかし『万葉集』に、彼女が詠んだ歌が数多く残されていることから、歌人として高く評価されていたことは間違いないでしょう。

額田王(イメージ)。里中満智子、大和和紀さんたちの漫画、井上靖、永井路子さんたちの小説、そして宝塚歌劇団の舞台化など、額田王を扱った作品は、数多ある。

 

当時の時代背景を参考に、額田王の人物像を探ります。

飛鳥時代の才能あふれる女流歌人

額田王は、飛鳥(あすか)時代を生きた女性で、誕生は630年ごろ、没年は690年ごろとされています。若いころに和歌の才能を見出され、斉明(さいめい)天皇の女官として出仕したようです。

当時の和歌には、恋の駆け引きを楽しむだけでなく、天皇の意思を民衆に広く伝えるという政治的なメッセージの役割もありました。額田王は、豊かな才能を武器に、斉明天皇の片腕となり、宮廷歌人として活躍します。

彼女は、やがて斉明天皇の息子・大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)と結ばれ、女児を出産します。その後、夫の兄である天智(てんじ)天皇に見そめられ、彼の妻になりました。天皇2人に愛されたことから、和歌の才能だけでなく、見た目も美しい女性だったと推測されます。

万葉集に残る多数の歌

額田王が詠んだ歌は、『万葉集』に12首が残されています。特に傑作とされているのが、「白村江(はくすきのえ)の戦い」に向けて詠んだ、以下の歌です。

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮(しほ)も適ひぬ今は漕(こ)ぎ出でな

現在の「熟田津の道」(愛媛県松山市)。斉明天皇の伊予行幸の際に、ここを舞台にして額田王が歌を詠んだといわれている。熟田津は、固有名詞ではなく、「干潟のできる港のこと」ともされていて、山口県熊毛郡だという説もある。

 

白村江の戦いは、当時、友好関係にあった朝鮮の国・百済(くだら)が滅ぼされたときに、斉明天皇と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)が百済再興を手伝うために朝鮮に出兵した事件です。

「熟田津(現在の愛媛県松山市)で月を待ち、出航の準備をしていたところ、潮の流れが良くなったから今こそ漕ぎ出そう」という意味で、戦意高揚や安全祈願のために詠んだ歌と考えられています。

ここぞという大事な場面で、的確なメッセージを発信できる額田王は、為政者にとってそばに置きたい貴重な人材だったのでしょう。

有名な和歌「あかねさす」とは

「あかねさす」から始まる和歌は、歴史の教科書にも取り上げられている額田王の代表作です。額田王がこの歌を詠んだ真意については、今なお議論が続いています。

謎に満ちた和歌「あかねさす」について、当時の状況もあわせて考察しましょう。

昔の恋人をたしなめる歌

あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る」は、額田王が、天智天皇の妻になった自分に、まだ愛を伝えようとする大海人皇子の行動ををたしなめる歌、として解釈されています。

「あかねさす」とは紫の枕詞(まくらことば)で、「紫野」は染料となる紫草を栽培する畑のことです。貴重な染料がとれる紫野は、一般人の立ち入りが禁止された「標野」でもありました。立ち入り禁止の場所には野守(番人)がつきものです。

また「袖振る」動作は、愛の告白を意味しています。この歌で額田王は、「紫野であなたが私にしきりに袖を振っている様子が、番人に見られているではありませんか」と言っていると解釈されているのです。

2人の天皇との三角関係

「あかねさす」が詠まれた背景には、額田王と2人の天皇との三角関係がありました。

彼女は、最初に大海人皇子へと嫁ぎましたが、兄の中大兄皇子も彼女の才能にほれ込み、自分の娘4人と引き換えに、妻に迎えたいと申し出ます。

中大兄皇子は、政治的にも有力な立場にあったため、額田王と大海人皇子は、後のことを考えて申し出を承諾しました。額田王が、2人の天皇をどう思っていたのかは知る由もありませんが、このときに申し出を断っていたら、その後の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

なお、中大兄皇子が差し出した娘のうちの1人は、後の持統(じとう)天皇です。大海人皇子が天武天皇として即位した後、夫をよくサポートした有能な皇后としても知られています。

実は、宴会の座興で読まれた?

「あかねさす」の歌は、宮廷行事後に催された酒宴で披露された、という説があります。酒宴には天智天皇はもちろん、大海人皇子も列席していました。

額田王の年齢は、30代半ばに差し掛かっており、天智天皇と大海人皇子との三角関係も、その場にいる誰もが知る状況でした。

すでに、宮廷歌人としての地位を確かなものにしていた額田王は、宴会の座興として、わざと昔の夫との恋の駆け引きを、歌に詠んだとも考えられています。

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数奇な運命に翻弄された人生

現在の常識に当てはめれば、兄と弟に嫁いだというだけでも、額田王の人生はドラマチックです。しかし彼女には、その後、もっと数奇な運命が待ち受けていました。

天智天皇亡き後の、額田王の人生を見ていきましょう。

壬申の乱で娘婿と元夫が対立

「あかねさす」の歌が詠まれた3年後に、天智天皇は病のため亡くなります(672)。当時は、天皇に同じ母から生まれた弟がいる場合、その弟が後継者になる決まりがありました。

しかし、天智天皇は弟ではなく、自分の息子・大友(おおともの)皇子に皇位を継がせたいと考えていました。そこで天智天皇は、大海人皇子を病床に呼び出し、わざわざ「皇位を譲る」と伝えます。もし、弟が皇位継承を受けたら、その場で殺害しようと企てたのです。

兄の企みを察知した大海人皇子は、「出家する」と返答し、都を離れて吉野の山にこもりました。間もなく天智天皇は崩御され、大友皇子が政権を握ります。

若く政治経験の浅い大友皇子に対し、老練な大海人皇子は朝廷に反発する勢力を味方に付け、反乱を起こしました。「壬申(じんしん)の乱」と呼ばれるこの事件は、額田王にとってもつらい出来事でした。

瑠璃光院(京都市左京区)。比叡山のふもとの八瀬地区にある瑠璃光院。この書院から観る紅葉は、まさに絶景。壬申の乱で、背中に矢傷を負った大海人皇子が、「八瀬のかま風呂(和風の岩盤浴)」で傷を癒やされたと伝えられている。「矢を背に受けた」ことから、「八瀬」という地名になったという。

 

実は、大友皇子の妻は、額田王と大海人皇子の間に生まれた娘・十市皇女(とおちのひめみこ)だったのです。娘婿と元夫の対立を目の当たりにした額田王は、以後、朝廷から距離を置くようになったといわれています。

娘に先立たれながら歌を詠み続ける

壬申の乱は、大海人皇子の勝利で終わり、大友皇子は命を落とします。妻の十市皇女も、乱の数年後に、30歳前後で急死してしまいました。娘の死を境に、額田王は宮廷を去り、隠居したと考えられています。

十市皇女を20歳で産んだと仮定すると、そのころの額田王の年齢は50歳前後なので、当時としては珍しい長寿で、隠居した後も歌を詠み続けていたようです。

額田王が亡くなったころには、天武天皇の皇后・持統天皇の世となっていました。

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古代の優れた歌人に思いをはせてみよう

額田王が詠む歌は、多くの人に愛され、政治的にも大きな役割を果たしました。はるか昔の日本にも、政治の中枢で活躍した女性がいたのです。

額田王の存在は、現代を生きる私たちにも、たくさんの勇気を与えてくれるでしょう。

さらに学びを深めるための参考図書

小学館ビッグコミックス 「天智と天武」


中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を成敗して成し遂げた政治改革「大化の改新」。その「大化の改新」の真相は、中大兄皇子(天智天皇)と、父親を殺された大海人皇子(天武天皇)との、壮絶な兄弟喧嘩の号砲だった…。
天智天皇と後の天武天皇、兄弟の数奇な運命を描く歴史ストーリーまんがです。

小学館 「こども『折々のうた』100」


日本文学史上に輝く詩歌選集『折々のうた』の中から、10歳から読んでほしい短歌と俳句をそれぞれ50ずつ選び、分かりやすく解説しました。登場する作者は、万葉集掲載の額田王・柿本人麻呂から、平安時代の歌人和泉式部、江戸時代に活躍した松尾芭蕉・小林一茶、近現代の歌人石川啄木など、73人。教科書でもなじみ深い作者から現代作者までの作品を時代の流れ順に紹介しています。

世界文化社 ロマン・コミックス  人物日本の女性史3「額田王」

 

物語は「大化の改新」の前夜から始まります。近江の豪族・鏡王の娘であった額田王が、やがて天智天皇と大海人皇子に出会い、皇位継承問題と「壬申の乱」に巻き込まれていきます。この記事でとりあげた額田王の一生を、ひとりの女性の激動の歴史として、周囲の人物伝とからめながら描いていきます。

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構成・文/HugKum編集部

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