万里の長城とは
史上最大の建造物である「万里の長城(ばんりのちょうじょう)」は、中国を代表する城壁といっても過言ではありません。まずは、万里の長城とはどのような建造物なのか、その概要について知っておきましょう。
中国を代表する世界遺産
万里の長城は、東端の山海関(さんかいかん)から西端の嘉峪関(かよくかん)まで、中国の北部を横断する長大な城壁です。広大な国土をうねるように長く延びる姿から、「龍の背中」とも呼ばれています。
1961(昭和36)年に、日本でいう国宝にあたる「中華人民共和国全国重点文物保護単位」に指定され、1987(昭和62)年には世界文化遺産として登録もされました。
さらに2007(平成19)年には、200カ所もの世界遺産の中から「新・世界7不思議」の一つに選ばれています。これはスイスに拠点を置くニュー・セブン・ワンダーズ財団が世界中に呼びかけ、約1億人が参加した投票により決定されたものです。
長さは何km?
明(みん)代に造られた万里の長城の総延長は「8851km」です。二重や三重になっている部分や、違う時代に造られた部分もあり、すべてを含めた総延長は「2万1196.18km」にもなります(2012年6月、中国の国家文物局の調査による)。
一重の部分だけでも約2700kmあり、これは北海道から沖縄までの距離とほぼ同じです。日本列島を縦断できるほどの長さの城壁だと考えれば、規模の大きさをイメージしやすいでしょう。
高さは、平均して6.7m、幅は4.5mほどです。建材には黄土(こうど)や石材などが使われ、場所によっては、日干しレンガや焼いたレンガで覆われています。近年では、風化した部分も多くあり、一部では修復が進められているところです。
万里の長城の歴史
万里の長城は、中国の長い歴史の中で、少しずつ現在の長大な城壁になっていきました。万里の長城が、今の姿になるまでの歴史をたどっていきましょう。
春秋時代に建設が始まる
万里の長城の原型となる城壁が造られたのは、「春秋(しゅんじゅう)時代」(紀元前722~前481年)のことです。当時の中国は、北緯約40度を境にして、北方に遊牧民族が、南方に農耕民族が暮らしていました。
遊牧民族は、豊かな物資を狙ってたびたび南方へ進出しようとしたため、農耕民族(現在の中国人の9割を占める漢民族)は、城壁を築いて侵攻を食い止めようとしたのです。
各時代における両者の力関係によって、城壁は南北へ移動して造られました。このバラバラに建てられた城壁を、中国統一後、一つの長城につなぎ合わせたとされるのが「秦(しん)の始皇帝(しこうてい)」(在位:紀元前221~前210年)です。
中国の歴史家である司馬遷(しばせん)は「史記」の中で、この長城のことを「万里余(ばんりよ)」と記しました。これが世間に広まり、万里の長城と呼ばれるようになりました。
現在の長城は、明時代のもの
秦や漢の時代は、南方の農耕民族が優勢だったため、長城は現在と比べて北寄りに位置していました。隋(ずい)までは延長修復されていましたが、その後の唐(とう)から宋(そう)の時代には不要とされ、長城は長く放置された状態だったのです。
しかし明の時代になると、モンゴル民族が首都北京(ぺきん)まで攻め込んできました。北京の防御を固めるため、再び長城が重要視されはじめます。
このように、防護壁であった長城は、破壊されたり移転したりを繰り返し、秦の始皇帝が築いた長城の大部分は失われてしまいました。現存する万里の長城のほとんどは、明の時代に造られたものです。
交易の場としての役割も
万里の長城が造られた時代、遊牧民族と農耕民族は対立していましたが、関係が断絶していたわけではありません。万里の長城は防護壁である一方で、「交易所」としての役割も果たしていました。
長城には、要所ごとに置かれた関城(かんじょう)があります。関城には長城を横切る通路が設けられており、そこが両者をつなぐ交流の場となっていたのです。遊牧民族は畜産物、農耕民族は農作物と互いに魅力的な生産物があったため、戦(いくさ)のない時期には盛んに交易が行われていました。
万里の長城を見に行くなら?
「万里の長城を見に行こう」と思っても、観光できる場所だけでも、かなり広範囲にわたります。目的地を決める参考に、万里の長城の中でも、おすすめの観光スポットを紹介しましょう。
保存状態がよい「八達嶺」
有名な長城といえば、北京市街から約75kmに位置し、全長およそ3.7kmの長さを誇る「八達嶺(はったつれい)」です。建築当時の姿を、ほぼ完全な形で保っているため、訪れる人が多く観光用のコースも整備されています。
八達嶺には、二つの入り口があり、北からの経路は「女坂(おんなざか)」、南からの経路は「男坂(おとこざか)」と呼ばれています。男坂には、やや傾斜がきつい階段があるため、ゆったり観光したい場合は女坂から入るとよいでしょう。
スライダーで自然を満喫「慕田峪」
八達嶺の東にある全長約22.5kmの「慕田峪(ぼでんよく)」は、比較的混雑しない穴場スポットです。起伏が激しい尾根伝いにあり、長城を歩きながらゆっくりと絶景を楽しめます。
体力に自信がなければ、行きの長城まではロープウェイやリフトを利用するとよいでしょう。帰りは長城から山の麓まで大自然の中を滑走できる、1.5kmもの長距離スライダーがあります。スライダーを目標にすれば、子どもと一緒でも楽しく観光できるかもしれません。
美しくも険しい「金山嶺」
「金山嶺(きんざんれい)」は、景観の美しさで人気の長城です。河北省承徳市にあり、西端から東端までの全長はおよそ10.5kmにもなります。
建築様式が異なる精巧な望楼や、のろしを上げた烽火台(ほうかだい)、関所などが見どころです。明の時代の建築が、ほぼそのまま残されていることから、「明長城の精華」とも呼ばれています。
修復されないまま当時の姿を残している部分も多いため、万里の長城の歴史をより深く感じられるでしょう。
攻防の歴史と、その役割に注目しよう
中国は、長く南北の民族が争いを繰り広げ、同時に交易を行ってきた歴史を持っています。万里の長城は、まさにその象徴ともいえる建造物です。秦の始皇帝時代の長城は、ほとんど失われてしまいましたが、明王朝時代に建築された長城は、現在もその姿を保っています。
中国を訪れる機会があれば、万里の長城へ足を向けてみてはいかがでしょうか。当時の雰囲気を肌で感じることは、子どもにとっても素晴らしい経験になるでしょう。
構成・文/HugKum編集部