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小学生は言語能力が低く、学校に行けない理由を話せない
――小幡さんは不登校になったきっかけを「なんとなく」としか言えないことに苦しんだのですね。
別にいじめられていたわけじゃないんだけれど、なんとなく居心地が悪くて。それをどう表現していいかわからなかったんですよね。子どもは言語能力がないから、当時の僕に言えるのは「楽しくない」。それじゃあ、大人は認めてくれないですよね。でもね、たかだか6、7歳で、言語化できないのはあたりまえかな、と思うんです。
僕は給食が食べられなかった。牛乳がすごく苦手で、給食を食べたくないから学校に行きたくない。今はアレルギーの心配もあるから残すことを怒られたりしないようですけれど、僕が小学校のときは「残さず食べろ、牛乳飲み終わるまで遊べないぞ」でした。
牛乳が嫌い、は理由として認められない
とにかく牛乳がすごくつらくて、「飲みたくない」って先生に言うじゃないですか。すると、先生は「栄養がかたよる」「身長が伸びない」とか言うわけですよ。でも、僕はチーズやヨーグルトは好きだったんで、乳製品の栄養は摂れている。身長もクラスで一番高かったんです(笑)。「残したらもったいないでしょう」と言うなら、じゃ、最初から頼まなければいいし、残ったらだれか飲みたい子が飲めばいいじゃないですか。だれか欠席してゼリーとか余ったときはジャンケンしてほかの子が食べたりしているんだから。なんで牛乳を飲まないことがわがままなのか、よくわからないな、と心の中で思っていました。
得意なこをと伸ばせず、苦手を克服することを強いられる
――それは、牛乳を飲まなければいけないというあまり根拠のないきまりを、飲めない子の内面をよく考えずに押しつけてくるという「強制」ですよね。それに対して、子どもなりに拒否感を表していたということではないですか?
僕は、得意なことと苦手なことが極端でした。学校は、得意なことを伸ばすのではなくて、苦手を克服することが大事だというスタンスだから。そういう学校のベースみたいなものがダメだったんでしょうね。
大人は、「学校は楽しいものだ」と決めつけてくる。なにもかもが楽しいわけではないし、楽しくない子もいるかもしれないのに、「学校は楽しいものだ」でくくってしまう。ルールをつくっている側の学校の先生とか文部科学省の人とかは、学問とか学校の環境について、ポジティブな人が多いんでしょうね。学校がいやだったら学校の先生にならないし、勉強しない人が官僚とかにはならないだろうし。学校を作っている人が、学校をポジティブにとらえているところから始まっているから、生徒の「楽しくない」は成立しないし、認めたくないんです。
でも、そんなふうに小学校1年とか2年の子が言語化できないですよね。大人になればロジカルな話はできるけれど。だから「楽しくない」しか言えないんです。で、おずおずと自分の気持ちを言うと、拒否される。一度拒否されたらもう言えないからめっちゃつらいし、出口がなくなるんです。だれも味方がいない、親も味方じゃないから、孤立しちゃうんです。不登校の子の多くは、そんな感じかもしれません。
剣道の大家の父と闘っても勝てるはずがない
――親御さんは小幡さんの不登校についてどのように受け止めていたのですか?
うちの父は教師で、「学校は楽しいものだ」側の人でした。「学校に行かないなんてダメだ」と、考えがはっきりしていた。母も家庭教師をしていました。父がその方針なら、母も同じ方針と、そういう感じでした。だから、「学校に行きたくない」と言っても、「なぜ?」と聞くこともなかった。「みんな行っているんだから行くのがあたりまえだろう」と。
めちゃめちゃケンカしました。罵倒もお互いにしました。でも、父は剣道が強くて、家に竹刀もあるわけです。何をするわけでもないけれど、子どもにとっては怖くて、結局勝てるわけがないですよね、8歳の子どもが。威厳がありすぎる。
僕は長男で、弟がふたりいるんですが、上の弟は勉強をめっちゃがんばって偏差値がすごく高い進学校に行くような子で、下の弟もスポーツ万能で。まあ、僕は家の中では異端児です。
朝は、父のほうが先に出るので、まあいいんです。でも、学校に行けなくて家にいると、帰ってきたときにめちゃくちゃ怒られる。その恐怖で、追い込まれていくんです。午後になると怖くて怖くていられない。子どもながらにうつ状態にもなったし、家出も何度かしました。でも、小学生の家出って、自転車で遠くまで行ってもお金も持っていないし何もできないので、公園でしばらく時間を潰していても、帰るしかないでしょう。踏切をボーッと見て飛び込んでしまおうかと思ったこともありました。
唯一、5歳上の従兄弟のお兄さんが不登校だったのが救いで、ふたりでよくゲームをして遊んでいましたが。でも、一緒に住んでいるわけではないですからね……。
今思えば、父親にも立場があって、なかなか自分の不登校を認めにくかったと思います。
たくさん喧嘩もしましたが、でも、最後は認めてくれたんです。そのことを感謝しているし、自分が親の立場だったらと思うと、やはりなかなかできる決断でもないと思う。親もつらかったと思うし、今は認めてくれた父親を尊敬しています。
フリースクールで「好きなこと」を極めて元気になった!
――小学校高学年で、フリースクールに行くことになったのですね。
そこからですね、楽しくなってきたのは。フリースクールでは、不登校の子を否定しないし、ゲームが好きということも否定しない。フリースクールで囲碁を覚えてそれにもハマって、ゲームと囲碁で大会に出るようになって。そうなったら楽しくなってきたんです。
高校はフリースクールの先輩たちが行っていた、定時制に進学しました。高校では、SNSやゲームを通じてさまざまな人と出会い、行動範囲を広げました。その頃には、学校も仲間がいるから楽しくなっていて、休むこともありませんでした。
地域を活性化させるようなイベントも自ら開催したりして、だんだんイベントの規模も大きくなって。これはもう、法人を作って社会的な信頼を得て開催したほうがいい、と思い、起業しました。そして皆さん驚くでしょうけれど、国立大学にも入学したんです(URL)。今もインターネットサービスの仕事をしたり、ゲームの家庭教師を組織したり、SNSを使って不登校の当事者屋保護者のイベントを開催したり。最近では、専門職大学の客員教員の仕事もしているんですよ。
「楽しい」と思える居場所を作ることはめちゃくちゃ大切で、そこからその後の人生も変わっていくのだと思います。
親の時代と今とでは、学校を取り巻く環境が激変している
――そういう話を聞くとホッとしますが、わが子の不登校を心配するパパママは、いざ子どもが学校を行き渋ると動揺してしまいます。
うーん、そんなに学校は「絶対」ではないと、僕はいいたいすね。
そもそも、親御さんたちが子どもの頃の環境と今の環境とでは、かなり違いますよね。かつての子どもは学校しか行くところがなかったけれど、今はお稽古とか学校外のクラブ活動みたいなものとかも盛んですし、子どもでもオンラインで世界中の人たちとつながることができます。勉強も、オンラインで受けることもでき、それが学校の勉強と同等に扱われるものもあります。お子さんが学校にうまくなじめないのであれば、別の居場所を考えてあげればいいんじゃないですか?
――学校に行き渋る子に対して、親はどう接したらいいでしょうか。
「不登校」とは、「年間30日以上の欠席のある生徒」のことを指し、中学生では約10万人います。しかし、実は29日以下でもそれなりに欠席をしている子、学校には来るけれど遅刻や早退が多い子、授業には出るけれど学校がいやだと思っている子などもいます。日本財団の調査では、こうした「不登校傾向にあると思われる中学生」は不登校のほかに33万人もいるという結果になっています(2018年10月調査)。不登校予備軍がたくさんいるんですね。
不登校傾向にある子どもの実態調査報告書 (nippon-foundation.or.jp)
こういう子たちを加えると、中学生10人に1人くらいは学校に行きたくない、と思っていることになります。だから、「うちの子が、まさか」ではなくて、「うちの子にもある」と思った方がいいと思います。
お腹が痛いとか熱が出るとか、体に不調をきたしたら、サボりと片付けず、苦しんでいるんだ、と思ってほしい。僕も、「学校に行かなくちゃ」と思うとめちゃくちゃお腹が痛くなったり、動悸がしたり、鬱状態になったりしていました。何かサインがあるときは、問い詰めるのではなく、子どものつたない言葉に耳を傾けてほしいと思います。
深刻ではなくて、ちょっとサボりたいなぁ、程度なら「休んでもいいから、学校で勉強する分、うちで6時間勉強しなさい」って言ったらどうでしょうか。そんなのできないし、家にいてもつまらないから学校に行き始めるでしょうし(笑)。本当に行きたくなかったら「家で勉強する」っていうかもしれないし。そのへんを見極める材料になりますね。
ともかく、皆勤賞なんて無理に目指さないでほしい。社会人でも、リフレッシュしたいときは有給休暇を使うでしょう? 子どもには有給休暇がないから。たまには自主的に有給休暇をとらせてあげようか、くらいの気持ちで子どもを学校に送り出すといいと思います。。
子どもの言葉にできないメッセージを読み取ることの大切さ
小幡さんの話を聞いて、「子どもの苦悩」を肌で感じました。「学校が肌に合わない」と強く思っているのに、それを大人がわかるように説明することができない。たとえできたとしても否定される――。不登校の子どもの「絶望」を感じました。大人は、子どもが学校に行き渋ると、自分の不幸ばかり考えてしまいます。しかし、「なぜ行かないのか」を問うより先に、「行かない子ども」の心理を受け止め、言葉にできない感情を読み取ることから始めないといけないのだな、と教えられます。
小幡和輝(おばた かずき)さん
1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。不登校中のゲームトータルのプレイ時間は30000時間を超える。定時制高校3年で起業。SNSのプロモーション企画やイベント事業などを行う。ダボス会議を運営する世界経済フォーラムより、世界の若手リーダー『GlobalShapers』に選出。2019年10月より、日本初、ゲームのオンライン家庭教師『ゲムトレ』を立ち上げ代表に。また、不登校の保護者・当人のコミュニティ、#不登校は不幸じゃない 発起人。著書に 『学校は行かなくてもいい 親子で読みたい「正しい不登校のやり方」』『ゲームは人生の役に立つ 生かすも殺すもあなた次第』(以上エッセンシャル出版社)『学校では教えてくれない 稼ぐ力の身につけ方』(小学館)など
取材・文/三輪 泉 撮影/黒石あみ