「不平等条約」ってどこが不平等? その実例や内容、近代日本に与えた影響も解説【親子で歴史を学ぶ】

不平等条約とは締結する二国のうち、どちらか一方が不利な内容の条約です。代表的なものとして日米修好通商条約が挙げられますが、実際にはどのような点が不平等だったのでしょうか? 日本・アジアの主な不平等条約や、日本での影響について詳しく解説します。
<画像:不平等条約だった「安政五カ国条約」>

不平等条約は何が「不平等」?

不平等条約は文字通り「平等な内容とはいえない」条約のことです。なぜ不平等になるのか、不平等とされる内容はどのようなものなのかを見ていきましょう。

国力の強い方が有利な条約

国力に差のある二国間で締結される条約のうち、強い方が有利な内容になっているものが不平等条約です。不平等な条約の内容としては、「領事裁判権の承認」と「関税自主権の放棄」が挙げられます。

領事裁判権は治外法権ともいい、条約を締結した相手国の国民は自国の法律で裁けないとするものです。

また、関税自主権を放棄すると貿易にかかる関税の税率を自国で決められません。幕末に日本がアメリカと締結した日米修好通商条約にも、この二つが入っていました。

日米修好通商条約(外務省外交史料館蔵)World Imaging, Wikimedia Commons

また、日米修好通商条約に先立って結ばれた日米和親条約には、「片務的最恵国待遇」も含まれていました。他国とアメリカよりも有利な条件で条約を締結した場合、その内容が自動的にアメリカにも適用されるというものです。

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日本やアジアの国々の不平等条約

19世紀後半、欧米諸国が積極的にアジアへ進出してきます。日本をはじめ、国力で劣るアジア諸国は不平等条約の締結を余儀なくされました。日本・アジアが結んだ主な不平等条約について解説します。

安政の五カ国条約(日本)

鎖国状態にあった日本はアメリカの武力と圧力に屈し、1858(安政5)年6月に日米修好通商条約に調印します。条約締結により、200年以上にわたる鎖国に終止符が打たれました。

続いてオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の修好通商条約を結びます。「安政の五カ国条約」と呼ばれるこれらの条約は、領事裁判権の規定や関税自主権が日本側にないという不平等なものでした。

加えて、締結にあたって天皇の承認を得ていなかったため、幕府への不信感や不満の高まりを招きます。「安政の仮条約」ともいわれる一連の条約は、尊王攘夷運動の激化につながりました。

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南京条約(清)

1840年、清がイギリスから持ち込まれたアヘンを焼却したことをきっかけに、アヘン戦争が勃発します。しかしイギリスの圧倒的な軍事力に、清は大敗しました。

1842年、イギリスと清の間で締結されたのが南京条約です。領事裁判権の承認・関税自主権の放棄はもちろん、勝利したイギリスに対する莫大な賠償金の支払いや、広州・厦門(アモイ)・上海など五つの港を開港することなどが盛り込まれていました。

また、外国との貿易を独占していた公行(こうこう・コホン)が廃止され、貿易の拠点として香港島がイギリスに割譲されたのです。

清はイギリスだけでなく、アメリカと望厦(ぼうか)条約、フランスと黄埔(こうほ)条約という、同様の条約を締結します。それらの条約は、欧米諸国がアジア諸国を侵略する足掛かりとなりました。

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日朝修好条規(朝鮮)

朝鮮の江華島付近で、日本と朝鮮が武力衝突した江華島事件をきっかけに、1876(明治9)年に締結された修好条規です。この条規締結によって、鎖国状態にあった朝鮮の開国が実現します。

江華島事件と日朝修好条規の締結は、「武力で朝鮮を開国させるべし」と主張する征韓論推進派が明治政府を去ったわずか2年後でした。反対派が中核を成していた明治政府は、結果的に征韓論推進派が主張した武力という方法で朝鮮を開国させたのです。

しかも条約の内容は、領事裁判権の承認・日本の関税免除・日本の貨幣流通など、日本がアメリカにされたのと同じように、日本が一方的に有利なものでした。朝鮮にとって不平等な日朝修好条規は、日本の朝鮮侵略の第一歩になったとされています。

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不平等条約が日本に及ぼした影響

安政五カ国条約 Photo by World Imaging (talk) , photographed at Japan Currency Museum, 

不平等条約は欧米諸国との関係だけでなく、日本国内にもさまざまな影響を及ぼしました。日本がアメリカと締結した日米修好通商条約を例に挙げて解説します。

国内の物価が上昇

日米修好通商条約では日本に関税自主権がなく、輸出入にかかる税率を決められませんでした。それにより、海外から大量生産の毛織物や綿織物が安価で入ってきたため、国内製品が売れなくなります。

一方、生糸や茶は買い叩かれ、大量に輸出されました。不平等条約下の貿易によって、国内の需要と供給のバランスも崩れることになったのです。

また、日本では金と銀の交換比率が欧米諸国に比べて小さかったため、銀が大量に持ち込まれるようになりました。交換された金(小判)が国外に持ち出されたことで、貨幣価値が低下したとされています。

そうした国内経済の混乱は物価の上昇を招き、庶民の生活は苦しくなりました。

尊王攘夷運動が激化

日米修好通商条約を始めとする「安政の五カ国条約」の内容が不平等だったため、国内では幕府や大老である井伊直弼(いいなおすけ)を批判する声が高まりました。

しかし、井伊は自分や幕府に異を唱える100人以上に対して処刑・処罰を加えます。「安政の大獄」と呼ばれる大弾圧は尊王攘夷運動の激化を招きました。尊王攘夷とは幕府政権を否定し、天皇を擁する政権の樹立を目指す尊王論と、夷狄(外国)を追い払う攘夷思想が合わさったものです。

ついに1860(安政7)年3月3日、井伊が尊王攘夷派に暗殺された「桜田門外の変」が起きます。幕府は地に落ちた権威を回復し尊王攘夷派を抑えるために、朝廷と手を結ぶ公武合体政策へと転換していきました。

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日本の近代化にもつながる

不平等条約の影響は、悪いことばかりではありませんでした。日本が急速な近代化を実現したのは、不平等条約を改正するためでもあったのです。

日米修好通商条約締結時の国際法では、享有者(権利をもともと持っている国家)を文明国としていました。つまり不平等条約を押し付けられた日本は、国際法において文明国と見なされていなかったのです。

明治政府は、日本の近代化と国力の増強を急務として取り組みました。憲法の制定や殖産興業、富国強兵などの政策が功を奏したことや、日清・日露戦争で勝利したことなどから、日本は欧米諸国から評価されます。

まず1894(明治27)年に領事裁判権が廃止され、1911(明治44)年には関税自主権も回復しました。不平等条約の改正によって、日本が文明国として認められたということです。

不平等条約が結ばれた歴史を知ろう

不平等条約は国力に勝るほうが有利になっている条約です。19世紀後半、欧米諸国はアジアの国々とさまざまな不平等条約を結びました。幕末に日本がアメリカと締結した日米修好通商条約もその一つです。

しかし日本は、条約改正を目指して急速な近代化を成し遂げます。その一方で、朝鮮に不平等な内容である日朝修好条規を締結しました。

それぞれの時代でなぜ不平等条約が結ばれるのか、歴史の背景とともに見直してみましょう。

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構成・文/HugKum編集部

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