子どもの頃から持ち続けた「探究心」が今の力に繋がった
飯塚選手は幼少期、どんなお子さんでしたか?
飯塚選手:とにかく活発で友だちと秘密基地をつくったり木登りをしたり、遊びに夢中になって夕食の時間を過ぎちゃって怒られるような子どもでした。近くの公園にコートがあったのでバスケやサッカー、野球などをしてよく遊んでいましたね。
小学生の時の好きな教科は、体育はもちろん好きですけど社会とか地図を見るのは好きでした。習いごとは年長から2年生くらいまでは水泳を習っていました。
最初は水泳だったのですね。陸上をはじめられたたきっかけは?
飯塚選手:3年生の時に町の1位を決めるような地域の大会に参加して100メートルで優勝した時にクラブチームに勧誘されたのがきっかけです。
はじめは陸上をやろうとは思っていなくて、断るのを前提で体験会に行ったら、今まで学校で走るのが一番速かったのに自分よりも速い人がたくさんいて悔しくてハマっちゃいました(笑)。
子どもの頃から「自己決断」を心がけていた
飯塚選手:子どもの頃から「全部自分で決めなさい」と両親にいつも言われていました。陸上をやるのも自分で決めたことだから最後まで諦めないという考えが根本にあります。
父が研究熱心で、僕が走っている姿を全部ビデオに撮ってくれていました。大会の上位入賞者について直近どんな記録だったのかなどノートにまとめていて、ほかの選手の情報をくれたり…。
父のサポートの仕方が探究そのものなので、父とそういう話をしているだけで楽しくなってどんどん練習したくなるんですよ。そんな父を見て自分も探究することがクセになり、小学生の頃から目標を決めてノートを書いたりしていましたね。
競技を続ける上で大切にしていることは「常に探究心を持つこと」
飯塚選手:僕は好きなことをもっと深く知りたい!と思ったことがきっかけで探究心の大切さに気がつくことができました。両親も僕をサポートしていく中でいろいろと調べてくれて、それが僕に対して押し付けるのではなく、やっぱり自分が好きでやっていることだったので、知ることが楽しかったですね。
常にさまざまなことに興味を持ち、次に疑問を感じてさらに深く追求することで、なんとなく固まってしまっていた思い込みをなくせる感じています。陸上には正解がないので固定概念を無くすことは大切だと思うので、練習も含めて幅広く吸収することはいつも意識しています。
恩師との出会いと、高校時代のケガを乗り越えたメンタルケア
高校時代のコーチが陸上人生のターニングポイントになったと伺いました。
飯塚選手:高校時代のコーチが「練習と試合は違う」ということをよく言っていて、前日の練習でどんなに調子が良くても悪くても、次の日の試合はわからないということを教えてくれました。試合前になると調子が悪かったらどうしようとか不安になるのですが、その言葉が心の支えになっていました。それは本当で、スタートラインに立つまでは調子が悪いと思っていても、走り出したらよくなったりすることもあるんですよね。
コーチは練習中に選手に自信を持たせるために、あえて嘘をついて本当より速いタイムを伝えてたんですよ。「調子いいぞ!」みたいな感じで、僕はずっと騙されていました(笑)。
それは、当時僕はコーチから、「力まないでリラックスしたほうが速く走れる」と言われていたのですが、その意味がよく分からなくて「なんで力を抜かないといけないの?」と思っていました。
それを理解させるために、力んでいる時よりもリラックスしている時のタイムが速かったと伝えていたようです。でもそうすると信じるじゃないですか。そうやってさりげなくメンタルケアもしてくれていたようです。
嘘のタイムを伝えていたことを知ったのは、卒業後しばらくたって母校に行ったときに、コーチが後輩の指導しているのを見て気がついたんですけどね(笑)。
高校時代のケガを乗り越えたメンタルトレーニング法
飯塚選手:ケガで離脱して試合を見ない期間が長かったりすると、もう一度スイッチを入れるのがすごく大変なので気持ちを切らさないことが大切です。
たまたま競技場でリハビリをしていたときに練習している人たちを見ていて、治りそうな気分になって(笑)。それから意識するようにしています。
高校生の頃からイメージトレーニングも取り入れました。タイムとその通りに走るイメージを繋げたり、勝っている自分をイメージするとか優勝した時の画像を見たりするのもいいですね。あとは優勝した時のインタビューを考えたりもします(笑)。自分よりも速く走っている人を見て、走れるかも!という気持ちになったりして前向きに考えるようにします。
銀メダルを獲得されたリオ五輪で印象に残っていることは?
飯塚選手:走っているときの記憶はないんです。バトンをもらう瞬間と渡す瞬間しかわからない。走っているときは歓声も小さくなってゴールで次の走者にバトンを渡した瞬間にまたワア!って音が出てくる感じですが、慌てているわけではなく、試合中は気持ちを落ち着かせて冷静に燃えています。
僕は4×100mリレーの第二走者で、ゴールが反対側だったので順位がわからないんですよ。走っているときよりも、走り終わって電光掲示板を見て結果を待っている時間が一番緊張しましたね(笑)。
興味がないことでも面白いことを探すことが大切
HugKum世代の子どもたちをもつ親御さんへメッセージをお願いします。
飯塚選手:好きなことを探すといいと言われてもそれが結構大変で、子どもは興味があるものがそもそもわからないということがあると思います。だから何もないところから好きなことを探すのではなく、身近だけれどあまり興味がないようなことを好きになるように考えてみる、面白くないことでも何か楽しいことがあるんじゃないかという視点で見てみることが大切だと思います。
次から次へと、これもあれも違うではなくて、興味がないことや嫌いなことを面白く考える視点を持てるように親子で一緒に楽しめたらいいですね。
パリ五輪で4大会連続出場を目指して
普段から速く走ることばかりを考えている飯塚選手のプライベートは、リラックスするために意外にもスローライフを意識しているそうで、休みの日や家で過ごす時はあえてゆっくり動くようにしているそうです。取材後の撮影移動のときもゆっくり動いている姿がチャーミングでした。
3月からシーズンインした飯塚翔太選手の目標は、パリ五輪に出場し200mの決勝を走ること。常に前を向いて進み続ける飯塚選手。今年の夏に期待しています!
メダリストのインタビュー、こちらもおすすめ
飯塚翔太選手プロフィール
ミズノ所属。静岡県御前崎市出身。藤枝明誠高等学校卒業後、中央大学に進学。2010年大学1年時に出場した世界ジュニア陸上競技選手権大会200mをアジア人として初優勝し、2012年ロンドン五輪には、200mと4×100mリレー(第4走)に出場。2016年の日本選手権では日本歴代2位となる20秒11で優勝。同年のリオ五輪では4×100mリレーに第2走として出場し、銀メダルを獲得。さらに2017年世界選手権でも銅メダルに貢献。
撮影/五十嵐美弥 取材・文/やまさきけいこ