「ギザの三大ピラミッド」解明されない謎と、最近の研究でわかったこと まとめ

エジプトのピラミッドといえば、ロマンあふれる古代文明の象徴として人気があります。そして、有名なギザの三大ピラミッドには今もなお多くの謎が残されています。ピラミッドの謎を分かりやすくまとめ、最近の研究成果と併せて見ていきましょう。

ギザの三大ピラミッドとは?

ギザの三大ピラミッドは、アフリカの北東部にある、エジプトのカイロ近くにあります。カイロ西方の砂漠地帯にそびえ立つ、三つのピラミッド群の特徴や大きさを説明します。

ギザの三大ピラミッド

世界七不思議の1つクフ王の大ピラミッド

世界七不思議とは、古代ギリシャ・ローマ時代にフィロンが書き残した、7種類の巨大建造物のことです。世界七不思議の一つであるクフ王の大ピラミッドは、ギザの三大ピラミッドの中で最も大きく、紀元前2560年ごろに建てられました。

クフ王の大ピラミッド

完成当時は、高さ約146m(現在約138m)、底辺約230mだったといわれています。斜面の角度はそれぞれ約51.5度で、四つの面が正確な東西南北を向いているのは、測量や建造の技術が非常に高かったことの表れです。

エジプトにある多くのピラミッドの中でも最大級で、現在は世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」の一部として登録されています。

出典:メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯 | エジプト | 世界遺産オンラインガイド

クフ王の息子であるカフラー王のピラミッド

ギザの三大ピラミッドの中で2番目に大きいのは、クフ王の息子であるカフラー王のピラミッドです。台地の上に建てられているため、一見すると大ピラミッドよりも高く見えます。

保存状態が良く、建造当時にピラミッド全体を覆っていた化粧石が頂上部分に残っているのが特徴です。三大ピラミッドを覆っていた化粧石は、カイロの街を造る建築材として利用されました。

カフラー王のピラミッド

参道の近くに建っている巨大なスフィンクス像は有名ですが、カフラー王が建てたかどうかも不明で、いまだに謎が残っています。

クフ王の孫であるメンカウラー王のピラミッド

ギザの三大ピラミッドの中で最も小さいのは、エジプト古王国第4王朝のファラオであり、クフ王の孫でもあるメンカウラー王のピラミッドです。

建造当時の高さは約65.5m(現在62m)、底辺は約105mで、他の二つの半分くらいの大きさです。規模が小さいのは財政難で建築費があまり出せなかったためともいわれ、第4王朝はメンカウラー王のしばらく後に崩壊しました。

メンカウラー王のピラミッド

北の斜面には破壊を試みたとみられる大きな穴が残っています。完成したときは赤い化粧石に覆われていたので「赤いピラミッド」という名前もありました。

重機もない古代にピラミッドを建てた謎

ギザの三大ピラミッドを見た多くの人がまず思うのは「クレーンやトラックもない古代に、どうやって巨大な石のブロックを運んだのか」という点ではないでしょうか。巨大なピラミッドを建てた古代技術の謎や、最近の研究で明らかになってきた意外な情報を説明します。

何トンもある石をどうやって砂漠に運んだか

クフ王のピラミッドに使われている石のブロックは、1個当たり約2.5~15トンです。現在の「ギザの三大ピラミッド」は砂漠地帯に建っているため、材料に使われた重い石をどうやって運んだかが大きな謎の一つです。

一説によれば、地面に泥を敷き、木製のそりに石を乗せて運んだといわれています。

2022年8月には、地理学者のハダー・シーシャが『米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences)』に新説を発表しました。建設当時は、ギザのピラミッド近くまでナイル川の支流が流れており、それを活用したという説です。今後も研究が進めば、少しずつ真相が明らかになっていくでしょう。

クフ王のプラミッドの下層部

重い石をどうやって積み上げたのか

ピラミッドの石ブロックをどうやって積み上げたかも大きな謎です。現在は、ピラミッドの外に直線またはジグザグの坂を作って石を運んだという考え方が一般的になっています。

ただし、この説を実行しようとすると、坂の長さは1.6km以上になり坂を作るための石の数も相当な量になって非効率的です。その疑問を解決するために、ピラミッド内部に渦巻き状の坂を作ったという説もあります。

最近、アメリカの科学誌『プロスワン』では、「階段ピラミッド」と呼ばれる別のピラミッドにおいて、ピラミッド内部に水の浮力を利用したエレベーターを作ったという仮説が載せられました。

その説によれば、階段ピラミッド建造時のエジプトはサバンナのような気候で、やはり階段ピラミッドの近くまで川が流れていたといいます。

「階段ピラミッド」とよばれるエジプト・サッカラのジェセル王のピラミッド

巨大建造物が崩れない理由「重量拡散の間」

ピラミッドを建てた技術と同じくらい謎なのは、約4000年もの間、三大ピラミッドが美しい姿を保ち続けていることです。人の手による破壊や風化はあっても、石の重みで内部崩壊しないのはなぜでしょうか?

そのヒントはクフ王の大ピラミッドにありました。クフ王のピラミッドは内部にいくつも部屋があり、他の二つのピラミッドに比べて複雑な内部構造です。

中央にある「王の間」にはクフ王の石棺(せっかん)が置かれ、その上には5層になった「重量拡散の間」があります。この「重量拡散の間」が、「王の間」の天井にかかる重力を分散させて、天井が崩れるのを防いでいると考えられています。

クフ王のピラミッド断面図。図中の中央10が「王の間」。上部が五層構造になっている
 wikimedia commons(PD)

労働力と材料はどこから?

古代ギリシャの歴史家であるヘロドトスの著書によって、ピラミッドは奴隷の強制労働で建てられたというのが以前の定説でした。

現在は、ピラミッド建設が農閑期の失業者対策でもあったと予想されています。労働者は、主に専門の職人や農閑期中の農民であり、住居や食料がファラオから提供されていました。

労働者用の食料と生活用品、そしてピラミッドの建築資材となる石や木材、工具用の銅などはエジプト各地や外国から集められた記録があります。豊富な資源と組織力からは、当時のエジプトの繁栄と国力がうかがえます。

何のために建てられたのかという謎

一般に、ピラミッドは古代エジプト王であったファラオの墓だといわれていますが、実ははっきりしたことは分かっていません。ピラミッドが何のために建てられたのか、現在の有力説を紹介します。

古代エジプト王の墓だという説

エジプト研究者の間では、ピラミッドはただのお墓ではなかったと考えられています。古代エジプトにおいて、ピラミッドの四角すいは新たな生命のシンボルです。

古代エジプト人は、人間が死んだ後には別の形の生活が始まると考え、お墓に来世に必要な食べ物を用意していました。ミイラは、来世でも肉体を利用できるように遺体を保存する技術です。

古代エジプト人にとって、ピラミッドはただの王の墓ではなく「ファラオの復活と永遠の命を保つための施設」だったとみられています。

ミイラが見つからない?

ギザの三大ピラミッドからは、完全な形のミイラが発見されていません。クフ王とカフラー王のミイラを納めるための石棺(せっかん)は空で、メンカウラー王の遺体は一部しか見つかりませんでした。

このことから、ピラミッドは王の墓ではないと考える人もいます。ただし、ピラミッドから王妃や王女のミイラが発見されたり、ファラオの遺体の一部と思われるミイラが発見されたりした例はあります。

もしかしたら、ファラオのミイラは副葬品の宝物と一緒に盗賊が盗んだのかもしれません。謎は解明されないままですが、やはり王の墓だという説が有力です。

最近のピラミッド研究と発見

最近のピラミッド研究は、日本の研究者も参加したプロジェクトで新発見がいくつもあり、テレビや新聞でも報道されました。最新技術によって新しく解き明かされてきた内容をチェックしましょう。

ピラミッド3D計測プロジェクト

実は、ピラミッドの石がどのように組まれているかといった建造方法は、資料が少なく詳しく分かっていません。

名古屋大学高等研究院の河江肖剰(かわえ・ゆきのり)教授は、この謎を解明するためにピラミッドの3D計測を行いました。きっかけは2013年に、あるテレビ番組の取材に同行したことです。

ドローンを使った撮影やピラミッドを登りながらの計測を基に、精巧なピラミッドの3Dモデルを作成すると立体地図や断面図が分かります。

河江教授は、今までのどの仮説とも違うピラミッドの組構造を見つけました。今後も、3D計測によるさまざまな発見が期待されています。

素粒子を使った透視技法

2015年からは、ピラミッドを傷つけない方法で調査する「スキャン・ピラミッド計画」が進められています。

名古屋大学大学院理学研究科の物理学者・森島邦博准教授らの研究グループは、プロジェクトに参加して素粒子ミューオンを利用した調査を行いました。

1kmの岩盤も通り抜ける素粒子ミューオンを観測することで、X線のように壁の向こうの構造が分かります。

調査の結果、2017年にはクフ王のピラミッド内に新たな巨大空間が発見されました。2023年にも別の新しい空間が見つかっています。空間の目的などは調査中です。

ピラミッドにはまだ謎がいっぱい

ギリシャ・ローマ時代から、世界の七不思議として驚かれていたピラミッドには、まだはっきりしない謎が多くあります。

一般に知られているピラミッドの定説は、研究者たちが地道な調査によって少しずつ明らかにしてきたことです。しかし、長年にわたって信じられてきた「奴隷建築説」が新たな発見でひっくり返ったように、これからも新しい説が出ないとはいえません。

最近は、3D計測やミューオン観測を利用して、ピラミッドを破壊しなくても内部調査できるようになりました。何千年もの間知られていなかったピラミッドの謎が、少しずつ明らかになっています。

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構成・文/HugKum編集部

参考:https://mused.com/stories/142/what-are-the-pyramids-and-who-built-them|Digital Giza
:解明進む巨大ピラミッド「永遠」の建造方法 強固さと低コストの秘密|朝日新聞
:メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯 | 世界遺産オンラインガイド
:ギザの三大ピラミッド、どう建設? 謎の内部空間も発見|日本経済新聞
:クフ王のピラミッドで未知の空間発見、構造解明に期待|ロイター
:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/072200015/121200018/|ナショナル ジオグラフィック

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