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授業がない、先生もいない世界一自由な学校
「サドベリーバレースクール」をご存じですか? 今から半世紀ほど前の1968年にアメリカのボストン郊外に誕生したユニークな学校です。
何がユニークかというと、この学校には授業がありません。子どもを教える先生もいません。5才から18才ぐらいまでの子が通っていますが、生徒たちはスタッフと呼ばれる大人に見守られ、好きなことをやって自由に過ごしています。
1日中サッカーをしてもいいし、ギターを弾いてもいい。ダンスの練習をやってもいいし、キッチンでケーキを焼いてもいい。勉強は? やりたければ勉強もできますが、誰からも強制はされません。
「授業がない、先生がいない」この学校の取り組みは「サドベリー教育」として知られ、その後ボストンからアメリカ全土へ、世界の国々へと広がっていきました。
日本も例外ではなく、1998年、兵庫県に「デモクラティックスクール まっくろくろすけ」が誕生します。その後、北は北海道から南は沖縄まで、今では10数校の「サドベリー教育」を取り入れた学校が立ち上がり、運営されています。
子どもが「サドベリースクールに通いたい」と言いだした
うちの息子は中学校の3年間を東京にあるサドベリースクールで過ごしました。
もともと我が家は子どものやりたいことを応援するという考えなので、中学校を選ぶときも子どもの意見を聞いて決めました。地元の公立校をはじめ、都立の中学、私立の中学などを見た結果、息子が選んだのは東京サドベリースクールでした。
もちろん、本人の意志を尊重するつもりでしたので、私と妻は同意しましたが、正直いって不安でした。なぜって、授業もない、先生もいない学校に通ったら、子どもの将来がどうなるかが分からなかったからです。
授業がないので、子どもは勉強しないかもしれない。ゲーム漬けの日々になるかもしれない。それにサドベリースクールは文科省に認可されていないので、学歴が取れません。こんな学校に子どもを通わせて大丈夫なのかと心配になりました。
サドベリー教育のよさは、どこにあるのか?
悩んでばかりもいられないので、サドベリー教育について学ぶことにしました。なぜこの学校には授業がないのか、先生を置かないのか。
スクールの創始者のダニエル・グリーンバーグさんの本には、こう書かれています。「子どもは学びたくなったときに、いちばんよく学ぶ」。子どもには生まれながらに好奇心があり、本能的に学びたくなる力を持っている。大人が教えたり、意図的に導いたりすることは、かえって子どもの学ぶ力を奪うことになる。だから、この学校では子どもに「教える」ことをしないのだと。
また、ダニエルさんはこうも言っています。「子どもを退屈のプールにどっぷり浸けるのだ」と。「好きなことをやっていい」と言われて喜ぶのは初めだけで、際限ない自由な環境に置かれると、次第にやることがなくなり退屈し始める。そして、「自分は何がしたいのか」「何をすべきなのか」というテーマと向き合う。この「退屈のプール」の期間を経て、子どもは真の学びに目覚めていくというのです。
一理あるなと思いました。今の日本の教育は、なんでも子どもに詰めこもうとします。それはまるでおなかいっぱいの子に、無理やり物を食べさせるようなもの。人間は食欲があって初めて食べたくなるわけで、子どもを自由にさせ、おなかがすくまで待つというのがサドベリー教育の考えです。
なるほどと思う一方、心配もありました。果たして自分の子にそれが起きるのか? 本当に自由に飽きて、何かを学んだり夢中になったりする日が来るのか? 一抹の不安を抱えたまま、子どもはサドベリースクールに通うことになりした。
ゲーム三昧になる子どもを見守って
さて、実際に通ってみてどうなったか。結果は、見事にゲーム三昧の日々となりました。
初めのうちこそ通信教育で勉強をやっていましたが、次第に手が遠のき、やがては見向きもしなくなりました。そりゃそうですよね、誰も勉強しなさいと言わないのだから。
子どもの好きに任せていると、やっぱりゲーム三昧になるのか。私たち夫婦は学校でも家でもゲームしかしない息子を見ながら、やきもきしていました。
ただ、せっかく自由な学校を選んだのだから、「勉強しなさい」とは言いませんでした。悶々とした思いを抱えたまま、楽しそうに学校に通う子どもをひたすら見守っていたのです。
そんな時期が一年以上続いたころ、ふと私の中で心境の変化がありました。うまく言えませんが、なんとなく「ばかばかしく」なってきたのです。のんきに過ごしている子どもを横目に見ながら、ああでもない、こうでもないと、心配ばかりしている自分のことが。
勉強しないで困るのは誰か? 親の私ではなく息子のはずです。学歴が取れずに困るのは誰か? それも私ではなく息子です。「勉強しなくて大丈夫?」と悩むべきは、本来、親の私ではなく、息子自身のはず。そこに思い至ったとき、はたと気づきました。「なるほど、ここにサドベリー教育の真髄があるのか」と。
ある日突然、勉強を始めると言い出した
それからというもの、私たち夫婦は一切子どもに求めなくなりました。人生の選択のすべてを子どもに委ねようと決めたのです。勉強するもしないも、進学するもしないも、自分で決めればいい。ゲームをやりたければ、ずっとゲームをやればいい。
不思議なもので、親のその覚悟が伝わったのでしょうか。中学2年の夏休みを過ぎた頃、突然、「高卒認定を取りたいので勉強を始める」と自ら宣言したのです。
中学3年間をサドベリーで過ごした後、息子は高校にも行かず、独学で高卒認定を取得し、今は大学生になっています。その間、私たちは一度も「勉強しなさい」と言いませんでした。
高卒認定の手続きも、大学受験の出願も、親はノータッチ。全部子どもが自分でやりました。すべてを自分で考え、自分で決め、自分から行動する、自立した人間へと育っていったのです。
後になって息子からこんな言葉を聞きました。サドベリーにいる間は「自由の牢獄にいるようだったよ」と。大きな自由を子どもに与えるサドベリー教育は、一見「甘やかしている」ように見えますが、自分の将来に責任を負うという意味において、むしろ「厳しい」教育といえるのです。
発達障害のお子さんも、障害を感じない環境
普通の学校では、席にじっとしていられないと叱られますよね。一人だけみんなと違う行動をすると問題扱いされます。でも、サドベリーではそんなことはありません。そもそも机を並べて座ることがないし、一緒に何かをすることもないからです。
みんなバラバラ、好きなことをやっていい。なので、一般の学校では発達障害と見なされる行為でも、この学校では問題になりません。
本来、子どもは個性豊かです。じっとしていられない元気な子がいれば、一人でいることを好む静かな子もいます。サドベリーでは、大人の考えで子どもを型にはめることはしません。持っている個性のままに、子どもはのびのびと育っていきます。
一人ひとりの個性を伸ばす教育へ
すべての子に、サドベリー教育が合うかどうかは分かりません。ただ、少なくとも私の子に関して言えば、サドベリースクールの自由な環境はマッチしたと思います。
今、不登校の子が全国で30万人近くもいるそうです。もし子どもが学校に合わずに苦しんでいるのなら、今の学校を離れ、サドベリーのような自由な学校を選択する道もあるのではないでしょうか。
学校に子どもを合わせる教育から、一人ひとりの個性を伸ばす教育へ。時代の流れは変わってきているように思います。