こんにちは!ロンドンでふたりの息子の子育てをしているYukoです。このコラムではイギリスの教育や子育てをしながら、日本との違いを感じる部分をレポートしていきますね。
今回は、子どもをバイリンガルにする難しさについて考えてみたいと思います。
国際結婚=子供がバイリンガルとは限らない
イギリス人の父親と日本人の母親の元に生まれた息子たち。よく「バイリンガルでいいわねぇ」と言われますが、ただ国際結婚夫婦の元に生まれただけでは、子供はバイリンガルにはなりません。毎日の地道な努力の末にバイリンガルになる子もいれば、そうでない子も勿論たくさんいます。
息子たちは、現在ロンドンを拠点に現地校に通っているので、彼らの母国語は英語です。なので、どれだけ日本語を伸ばせるのかが、バイリンガルへの道の鍵になっています。日本在住の方達とは逆バージョンになりますね。
8歳の息子が「ほぼバイリンガル」になるまで
さて、息子たちですが、8歳の長男は、日本語の会話、年齢相応レベルの読み書きが出来る「ほぼバイリンガル」。5歳の次男はなんとも怪しい「目指せバイリンガル」です。
最初の言葉は日本語だったのに…
長男が「ほぼバイリンガル」になった背景を紐解くと、生まれてから暫くは母親との時間がたっぷりあったので、たくさん日本語で語りかけをしてた事がベースになった気がします。その結果、最初の言葉は「おいし」(美味しい)というツッコミどころ満載の予想外の日本語でした。「最初の言葉はママかな? ダディーかな?」と盛り上がっていた私達だったので、その予想を遥かに越えてきた、食いしん坊の息子には大笑いさせられました。そこからも、日本語の単語は出て来てはいたものの、ベイビーヨガや、お歌のクラスなど、コミュニティーが広がっていくにつれどんどん雲ゆきが怪しくなり、英語の単語が次々に溢れ出してくる一方で、日本語が影を潜めていくようになりました。日本語は理解しているが、返してくるのは英語というハーフちゃんあるあるの入り口です。
子供に英語で話さざるを得ない事情
こちらの言語アドバイザーからは、「両親それぞれの母国語で子供に話しかけてください」と言われています。
でも他の国の人が会話のグループにいる時は、皆の共通言語である英語での会話になります。また子供同士のトラブルがあった時にも、ちゃんと自分の子供に言い聞かせている事を示すためにも、子供に英語で話す必要があります。このような機会がどうしても増えてきてしまったのです。
姑や家族が遊びにくる時も、日本語で息子に話す度に、悪気なく「今なんて言ったの?」と聞かれると申し訳ない気がして、結局英語で息子に話しかけるようになってしまいました。
バイリンガルに育てることが第一と、100%日本語だけで頑張った人も中にはいましたが、私の性格上それはなかなか厳しく、ついには日本語と英語がごちゃまぜになって話しかけるという、一番最悪のパターンに。
苦戦した子供の日本語教育
結果、3歳になって保育園に通いだす頃には、息子の話す言葉はほぼ100%英語になってしまいました。もしかしたら、うちの子はバイリンガルにはならないかも知れない。と思いながらも、その間やり続けていたのは、次の3つのことです。
1)1日のうちに、息子と二人きりの時間を作って、日本語で話しかける
2)会話のやり取りを学ばせるために、日本の教育テレビやアニメを一緒に楽しむ
3)日本人ママとの交流で、楽しい日本語の音をたくさん聞かせる
また余裕があるときには、
私:どんな動物が好き?
息子:I like an elephant
私:像が好きです。
私:そうか、像さんが好きなのね。
という具合に一人通訳をやっていた時期もありました。ただこれを続けるのは、なかなかハードでコンスタントには出来ませんでした。
そのうち、周りの日英ハーフちゃんたちが、どんどん日本語を話し始める中、息子は英語メインを貫いていたので、親としては、こんなに頑張っているのに。。。と落ち込むことも。
転機は日本の保育園
転機となったのは3歳の夏。日本へ帰国した際に、地元の保育園に体験入学をさせてみた時の事でした。初日は大泣きもいいところ、私にしがみついて離れず、保育士さんたちにもたくさんご迷惑をおかけしました。
ところが3日目に園から帰ってくると、3年間私が彼に話しかけてきた言葉の数々が、わぁっと突然溢れ出したのです。一体何が起こったのかと言うくらいに、湧き出た言葉の泉に涙が溢れたのを覚えています。 お友達と仲良くなりたい気持ちが、彼の中にあった見えない殻を、破ったのだと思います。そこからは、一定のレベルを保ちつつ、読み書きを覚えていったという感じです。たとえ言葉に出さなくても、投げ掛けた言葉は、ちゃんと彼の中に蓄積され、温め続けていたのだという事を知ることができて、本当に感動的でした。
花咲く時はそれぞれです。だた、諦めずに声がけやその言語の環境を楽しみながら伝え続ければ、奥深くにちゃんと蓄えられ、いつの日かバイリンガルになる可能性は、大きくなってくるはずです。
第2子もバイリンガルにする難しさ
次男の場合、これまた両親が国際結婚で、しかも兄がほぼバイリンガルなので、自然に両言語を吸収するかと思いきや、そんなに甘いものではありませんでした。むしろ一番上がバイリンガルでも、2番目が怪しいという人たちが割と多く、我が家もそのギリギリを行っているところです。一人目と同じようにと思いつつ、二人きりの語りかけの時間がなかなか取れなかったり、上の子の習い事が増えたので、その送り迎えに時間が取られ、日本の教育番組も見る機会がぐっと減りました。
3歳を過ぎて、慌てて日本語集中期間を作ろうと思ったその時、次男に「僕たちは今、どこの国に住んでいるでしょう? イギリスだよね。イギリスでは英語を話すんだよ。ママ」と英語でチクリ。それらしい事を言っては、日本語を話すことを面倒臭がる事も多々ありました。夏休みの恒例となった日本の保育園体験入学も、長男が親切に通訳を入れてくるので、特に話す努力をしないという「兄弟あるある」が発生。加えて、日本語をまだ上手に話せないから、とシャイな一面を見せ、さらに話す機会を失っていくという悪循環となっています。
それでもたまに一言二言、突然流暢な日本語を話すこともあり、彼なりのペースとスタイルで成長していることは感じてはいるのですが。
バイリンガルは1日してならず。焦らず、諦めず、それぞれの子供のタイミングで機が熟すのを待ちたいと思います。
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氏家祐子