雄略天皇とは?
古代の天皇には、存在自体が疑われる人も少なくありませんが、「雄略天皇」は、実在したことが分かっています。
天皇として在位した期間や、即位までの経緯を見ていきましょう。
実在した最古の天皇
『日本書紀』には、雄略天皇は第21代の天皇として、456~479年に在位したと書かれています。生没年は不詳ですが、父親は第19代の「允恭(いんぎょう)天皇」です。
中国の史書に登場する他、埼玉県行田(ぎょうだ)市の「稲荷山古墳(いなりやまこふん)」から出土した鉄剣にも、「名前」が刻まれています。考古学的には、実在が分かった最も古い天皇とされています。
暴君といわれた理由
雄略天皇はたいへん気性が激しく、天皇に即位前も、即位した後も、多くの人を死に追いやりました。
まず、雄略天皇の兄で第20代の「安康(あんこう)天皇」が暗殺されると、犯人と、犯人をかくまった大臣を攻め殺します。
大臣は、娘を差し出すことを申し出て許しを請いますが、雄略天皇は屋敷に火をつけ、焼き殺してしまいました。そして、皇位継承の候補者だった他の兄や皇子も次々に殺し、自らが即位します。
即位後も、頭に血がのぼると、すぐに処刑を命じる暴君的な言動が伝わっています。
また、雄略天皇は、有力な皇族や豪族を制圧し、政略結婚を進めました。強引で容赦のない様子から、暴君を意味する「大悪(はなはだあしき)天皇」と呼ばれていたようです。
雄略天皇の別名
雄略天皇と呼ばれるようになったのは後世のことで、当時は、別名が使われていました。雄略天皇と推察される三つの別名について、簡潔に解説します。
「日本書紀」では「大泊瀬幼武」
『日本書紀』では、第21代の天皇は「大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)」と表記されています。
『日本書紀』は、天武(てんむ)天皇が命じて作らせた、日本で最初の歴史書です。皇子・舎人親王(とねりしんのう)をはじめ、多くの人が編さんに関わり、720(養老4)年に完成したとされています。
全部で30巻あり、3巻以降には、歴代天皇や歴史的な事件について、年代順の記録があります。
従来の史書だけでなく、朝廷に仕える人の手記や寺院の記録、中国や朝鮮の史書など幅広い資料を用いた『日本書紀』は、当時の様子を知る貴重な手がかりなのです。
「倭の五王」の「武」
中国の歴史書の一つ『宋書(そうしょ)』の「倭国伝(わこくでん)」には、421~478年までに、中国に朝貢(ちょうこう)した5人の「倭王(日本の王)」の名が記されています。
そのころ、中国に朝貢する周辺国の王は、中国人に分かりやすいように、名前を漢字1文字で表記するのが習わしでした。
倭王も、それぞれ「讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)」と漢字1文字で表記され、最後に登場する「武」が、雄略天皇とされています。
なお「武」は「大泊瀬幼武」の1文字をとったという説もあります。
古墳の銘文には「ワカタケル」
1978(昭和53)年、埼玉県の稲荷山古墳で発掘された鉄剣に、金象嵌(きんぞうがん)で表裏あわせて115文字の「銘文」が刻まれていることが分かりました。
銘文は、471年に剣の持ち主「ヲワケ臣(おわけのしん)」という人が、大王に仕えた記念に刻んだものです。
銘文によると、ヲワケ臣は「獲加多支鹵(ワカタケル)大王の寺(宮)が斯鬼(シキ)宮にあったとき」に活躍していたそうです。
「ワカタケル」といえば、『日本書紀』に記載のある「大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)」の後半部分に該当します。
また、斯鬼宮は、雄略天皇が即位した宮廷「泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)」があった場所です。このため、銘文にあるワカタケルとは、雄略天皇で間違いないと考えられています。
雄略天皇の功績
謎の多い古代日本において、各地で名前が見つかっているだけあり、雄略天皇は、ただの暴君ではなかったようです。雄略天皇の功績を紹介します。
治天下大王として君臨
「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」とは、当時の政権における首長の称号です。雄略天皇は、即位後、国内の平定を進め、治天下大王として君臨しました。
『日本書紀』には、大泊瀬幼武大王が、有力な豪族・葛城(かつらぎ)氏や吉備(きび)氏を攻略したと記録されています。
また、稲荷山古墳の他に、熊本県の江田船山(えたふなやま)古墳からも、「ワカタケル」の名が刻まれた鉄剣(銀象嵌)が発見されており、彼の支配が関東から九州まで、広く及んでいたことが分かります。
さらに、雄略天皇は、朝鮮から渡ってきた技術者をまとめ、政治に活用しました。「武」を最後に、倭王による中国への朝貢が途絶えたのも、雄略天皇が統治体制を整え、朝貢の必要がなくなったからといわれています。
安東大将軍倭王の称号
雄略天皇は、外交にも長(た)けていたようです。当時、中国の周辺国は、対外的・国内的な権威を高めるために、中国の王に朝貢して、将軍の「号」を受けるのが通例でした。
宋の時代には、「安東・安西・安南・安北」の四つの将軍号があり、宋の東にある倭の王は「安東大将軍」の号を求めて朝貢します。
しかし、宋から与えられた号は、いつも格下の「安東将軍」にとどまり、なかなか「大将軍」にはなれませんでした。
雄略天皇の父とされる「済」は、後日「大将軍」に昇進しますが、兄の「興」は、やはり「将軍」どまりだったのです。
ところが、雄略天皇だけは、最初の朝貢で「安東大将軍」の称号を得ることに成功します。雄略天皇の資質が、今までの倭王よりも抜きん出ていることが、宋の王にも伝わっていたのでしょう。
歴史に名を残す雄略天皇
雄略天皇は、ライバルを殺して天皇の座に就くと、国内の統一に精力を傾け、大国・宋とも堂々と渡り合いました。古代日本で、実在が確認できる最古の天皇とされ、良くも悪くも歴史に名を残した個性的な天皇といえるでしょう。雄略天皇の事績を学べば、古代日本史への理解がもっと深まるかもしれません。
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2020年、日本書紀編纂1300年の年に刊行された、マンガと遊訳でわかりやすく読み解く日本書紀シリーズ。この記事で扱った雄略天皇から宣化天皇までを描きます。大和朝廷の拡大と律令国家体制の確立、朝鮮半島での外交戦略などを追いながら、古代日本の歴史ドラマをひもときます。
構成・文/HugKum編集部