雄略天皇とは、どのような人? 多くの別名を持ち、暴君とされた理由とは【親子で歴史を学ぶ】

「雄略(ゆうりゃく)天皇」の名前は、日本の文献や史跡だけでなく、中国の史書にも残されています。それぞれ別名で記されていますが、すべて同一人物です。古代の日本をまとめた功績の一方で、残虐な暴君とも伝わる雄略天皇の人物像について、分かりやすく解説します。

雄略天皇とは?

古代の天皇には、存在自体が疑われる人も少なくありませんが、「雄略天皇」は、実在したことが分かっています。

天皇として在位した期間や、即位までの経緯を見ていきましょう。

実在した最古の天皇

『日本書紀』には、雄略天皇は第21代の天皇として、456~479年に在位したと書かれています。生没年は不詳ですが、父親は第19代の「允恭(いんぎょう)天皇」です。

中国の史書に登場する他、埼玉県行田(ぎょうだ)市の「稲荷山古墳(いなりやまこふん)」から出土した鉄剣にも、「名前」が刻まれています。考古学的には、実在が分かった最も古い天皇とされています。

稲荷山古墳(埼玉県行田市)。さきたま古墳群の一つである。埼玉県第二位の規模(墳長120m)を誇る前方後円墳。国特別史跡で、出土品は一括して国宝に指定されている。2003(平成15)年に復元された。

暴君といわれた理由

雄略天皇はたいへん気性が激しく、天皇に即位前も、即位した後も、多くの人を死に追いやりました。

まず、雄略天皇の兄で第20代の「安康(あんこう)天皇」が暗殺されると、犯人と、犯人をかくまった大臣を攻め殺します。

大臣は、娘を差し出すことを申し出て許しを請いますが、雄略天皇は屋敷に火をつけ、焼き殺してしまいました。そして、皇位継承の候補者だった他の兄や皇子も次々に殺し、自らが即位します。

即位後も、頭に血がのぼると、すぐに処刑を命じる暴君的な言動が伝わっています。

また、雄略天皇は、有力な皇族や豪族を制圧し、政略結婚を進めました。強引で容赦のない様子から、暴君を意味する「大悪(はなはだあしき)天皇」と呼ばれていたようです。

雄略天皇の別名

雄略天皇と呼ばれるようになったのは後世のことで、当時は、別名が使われていました。雄略天皇と推察される三つの別名について、簡潔に解説します。

「日本書紀」では「大泊瀬幼武」

『日本書紀』では、第21代の天皇は「大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)」と表記されています。

『日本書紀』は、天武(てんむ)天皇が命じて作らせた、日本で最初の歴史書です。皇子・舎人親王(とねりしんのう)をはじめ、多くの人が編さんに関わり、720(養老4)年に完成したとされています。

全部で30巻あり、3巻以降には、歴代天皇や歴史的な事件について、年代順の記録があります。

従来の史書だけでなく、朝廷に仕える人の手記や寺院の記録、中国や朝鮮の史書など幅広い資料を用いた『日本書紀』は、当時の様子を知る貴重な手がかりなのです。

天岩戸神社西本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町)。『日本書紀』にも登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天岩戸をご神体として祀っている西本宮。八百万(やおよろず)の神々が会議を開いた天安河原(あまのやすかわら)は、パワースポットとして知られる。

「倭の五王」の「武」

中国の歴史書の一つ『宋書(そうしょ)』の「倭国伝(わこくでん)」には、421~478年までに、中国に朝貢(ちょうこう)した5人の「倭王(日本の王)」の名が記されています。

そのころ、中国に朝貢する周辺国の王は、中国人に分かりやすいように、名前を漢字1文字で表記するのが習わしでした。

倭王も、それぞれ「讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)」と漢字1文字で表記され、最後に登場する「武」が、雄略天皇とされています。

なお「武」は「大泊瀬幼武」の1文字をとったという説もあります。

古墳の銘文には「ワカタケル」

1978(昭和53)年、埼玉県の稲荷山古墳で発掘された鉄剣に、金象嵌(きんぞうがん)で表裏あわせて115文字の「銘文」が刻まれていることが分かりました。

銘文は、471年に剣の持ち主「ヲワケ臣(おわけのしん)」という人が、大王に仕えた記念に刻んだものです。

銘文によると、ヲワケ臣は「獲加多支鹵(ワカタケル)大王の寺(宮)が斯鬼(シキ)宮にあったとき」に活躍していたそうです。

「ワカタケル」といえば、『日本書紀』に記載のある「大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)」の後半部分に該当します。

また、斯鬼宮は、雄略天皇が即位した宮廷「泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)」があった場所です。このため、銘文にあるワカタケルとは、雄略天皇で間違いないと考えられています。

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雄略天皇の功績

謎の多い古代日本において、各地で名前が見つかっているだけあり、雄略天皇は、ただの暴君ではなかったようです。雄略天皇の功績を紹介します。

治天下大王として君臨

「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」とは、当時の政権における首長の称号です。雄略天皇は、即位後、国内の平定を進め、治天下大王として君臨しました。

『日本書紀』には、大泊瀬幼武大王が、有力な豪族・葛城(かつらぎ)氏や吉備(きび)氏を攻略したと記録されています。

また、稲荷山古墳の他に、熊本県の江田船山(えたふなやま)古墳からも、「ワカタケル」の名が刻まれた鉄剣(銀象嵌)が発見されており、彼の支配が関東から九州まで、広く及んでいたことが分かります。

江田船山古墳(熊本県玉名郡和水町)。清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大(墳長62m)の前方後円墳。92件の出土品は、一括して国宝に指定された(東京国立博物館所蔵)。現在は、江田船山古墳公園となっており、石室は見学自由である。

 

さらに、雄略天皇は、朝鮮から渡ってきた技術者をまとめ、政治に活用しました。「武」を最後に、倭王による中国への朝貢が途絶えたのも、雄略天皇が統治体制を整え、朝貢の必要がなくなったからといわれています。

安東大将軍倭王の称号

雄略天皇は、外交にも長(た)けていたようです。当時、中国の周辺国は、対外的・国内的な権威を高めるために、中国の王に朝貢して、将軍の「号」を受けるのが通例でした。

宋の時代には、「安東・安西・安南・安北」の四つの将軍号があり、宋の東にある倭の王は「安東大将軍」の号を求めて朝貢します。

しかし、宋から与えられた号は、いつも格下の「安東将軍」にとどまり、なかなか「大将軍」にはなれませんでした。

雄略天皇の父とされる「済」は、後日「大将軍」に昇進しますが、兄の「興」は、やはり「将軍」どまりだったのです。

ところが、雄略天皇だけは、最初の朝貢で「安東大将軍」の称号を得ることに成功します。雄略天皇の資質が、今までの倭王よりも抜きん出ていることが、宋の王にも伝わっていたのでしょう。

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歴史に名を残す雄略天皇

雄略天皇は、ライバルを殺して天皇の座に就くと、国内の統一に精力を傾け、大国・宋とも堂々と渡り合いました。古代日本で、実在が確認できる最古の天皇とされ、良くも悪くも歴史に名を残した個性的な天皇といえるでしょう。雄略天皇の事績を学べば、古代日本史への理解がもっと深まるかもしれません。

この時代をもっと知るためのおすすめ参考図書

小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史2「飛鳥の朝廷」

大陸からわたってきた国家制度や仏教が、どのように日本の国づくりに反映されたのかがわかります。 聖徳太子(厩戸皇子)が行った政治や、日本神話の登場人物たちをわかりやすく解説し、日本中に残る古墳についても紹介。古代日本の息吹をドラマチックに感じとることができます

小学館  日本史探偵コナン シーズン22「古墳誕生 誓いの双翼」

ごぞんじ名探偵コナンがナビゲートする名探偵コナン歴史まんがシリーズ。コナンと少年探偵団たちは、過去へと飛ばされてしまった子ども達「時の漂流者=タイムドリフター」とともに、歴史上の数々の難事件に挑んでいきます。この第2巻では、巨大古墳をめぐる争いに巻き込まれたコナンたちのストーリーを追いながら、古墳時代の謎に迫ります。

西日本出版社 マンガ遊訳  日本を読もう「わかる日本書紀」3

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構成・文/HugKum編集部

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