和菓子には、季節や行事に合わせて四季を楽しむ日本人の心が表されています。「白い黄金」と称された貴重な砂糖をつかった和菓子は、まず、富裕層向けに京都で発達し、将軍のお膝元である江戸に広まりました。
文政元年に、江戸・九段に出府を果たした榮太樓總本鋪。およそ160年前に、現在の日本橋の地に店を構えて営業を続け、創業200年を迎えました。和菓子を庶民に届け続けてきた榮太樓總本鋪がお届けする「和菓子歳時記」。ふだんの暮らしで親しんできた和菓子にまつわるエピソードをお楽しみください。
明治時代から愛されている、わさびを使った夏の定番「玉だれ」
日本橋の本店のみでの限定販売
本わさびを原料とした世界でも珍しいお菓子。初代榮太樓の三代目細田安兵衛が明治10年代に考案した創作菓子です。
日本橋の榮太樓總本鋪でしか販売されていないレアなお菓子として長年愛されてされてきました。
擦りおろした大和いもとわさびを混ぜ合わせた芯が求肥で巻かれており、羽衣のような白い求肥を通して透けるわさびの緑色が目にも鮮やかで、涼感を感じさせます。清楚で上品な菓子は茶席でも珍重されてきました。
涼感を呼ぶ、わさびの色と香り
せんべいや豆菓子に使われることはあっても、和菓子に使われているのはとても珍しい「わさび」。菓子の日持ちを延ばし、その辛味が菓子の甘みを引き立てる隠し味になっています。
「玉だれ」のわさびは、静岡産。わさびの風味を損なわないように、鉄製ではなく、銅製の細かい目のおろし金を用いています。
名の由来は平安の美貌の歌人・小野小町から
「玉だれ」の名は、平安の美貌の歌人・小野小町を題材にした謡曲の『鸚鵡小町(おうむこまち)』の一節から取られました。
年老いた小野小町と、当時の陽成天皇との間で交わされた歌のやりとりに由来しています。
「雲の上は ありし昔に変らねど 見し玉だれの 内やゆかしき」
と歌った陽成天皇に対し、小野小町は、
「雲の上は ありし昔に変らねど 見し玉だれの 内ぞゆかしき」
と「内や」を「内ぞ」と一字だけを変えるだけの「鸚鵡返し」の返歌をしました。
「玉だれ」とは、御簾(みす)のことで「宮中はあなたがいたころと何も変わりませんが、あなたが見たすだれの内側の今の様子をみたいですか」という、天皇の問いかけに宮中での生活を懐かしむ思いを、1字のみを変えて返歌とした小野小町。
御簾(みす)の内側の雅な宮中での生活を、わさびの爽やかな香り、白と緑の色彩、柔らかな優雅な形状に秘められた味になぞらえ、「玉だれ」と名付けました。
日本橋本店のみで供される夏にふさわしい逸品です。
監修:榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)の歴史は、代々菓子業を営んできた細田家の子孫徳兵衛が文政元年に江戸出府を果たしたことに始まります。最初は九段で「井筒屋」の屋号を掲げ菓子の製造販売をしておりました。が、やがて代が替わり、徳兵衛のひ孫に当たる栄太郎(のちに細田安兵衛を継承)が安政四年に現在の本店の地である日本橋に店舗を構えました。数年後、自身の幼名にちなみ、屋号を「榮太樓」と改号。アイデアマンであった栄太郎は代表菓子である金鍔の製造販売に加え、甘名納糖、梅ぼ志飴、玉だれなど今に続く菓子を創製し、今日の基盤を築きました。
構成/HugKum編集部 イラスト/小春あや