アフリカの年とは、何?
1950年代、欧米諸国の植民地だったアフリカの国々に「独立」の動きが広がりました。「アフリカの年」と呼ばれる1960年の出来事について解説します。
アフリカ諸国が独立を果たした1960年のこと
アフリカ大陸の国は、その多くが長年、ヨーロッパやアメリカの植民地とされてきました。そうした国々が相次いで独立を果たしたことから、1960年は「アフリカの年」と呼ばれているのです。
第二次世界大戦が終わったのをきっかけに、1950年代にはアフリカ諸国の脱植民地化が進みつつありました。なかでも1960年には、17もの国々が独立を果たしたのです。
この年に、多くの国が一斉に独立したことから「アフリカの年」という名称が広がりましたが、1960年にのみ独立が起こったわけではないため、あくまでも代表的な年として覚えておきましょう。
アフリカの年にいたるまでの背景
アフリカ諸国が歴史的な独立を果たすまでには、どのような背景があったのでしょうか。独立までの流れや、世界の情勢を見ていきましょう。
パン・アフリカニズム主義の活発化
かつて、黒人をアメリカ大陸へと送っていた奴隷(どれい)貿易で知られるように、アフリカの人々は奴隷としてさまざまな国で売買されていました。こうした扱いに対して20世紀のはじめに盛り上がったのが、アフリカの独立とアフリカ人の解放を訴える運動です。
アフリカ大陸を、アフリカの人々の手で取り戻そうとする考え方を、「パン・アフリカニズム」といいます。この考え方は、第二次世界大戦が終わるとともにより活発化したのです。
アメリカの社会学者であるデュ・ボイスなどが中心となり、1900年には初めての「パン・アフリカ会議」が開催されました。植民地として支配されるのではなく、アフリカの主体性を取り戻そうとする動きが独立へとつながったのです。
フランスが植民地の独立を容認
アフリカの年といわれる1960年に独立した国は、そのほとんどがフランスの植民地でした。独立が成功した理由としては、フランスが大きな方針転換を行ったことが挙げられます。
1954年、フランスの植民地であるアルジェリアで、独立を求める戦争が始まったのが大きなきっかけです。フランス政府の対応に不満を持ったフランス軍が、アルジェリアでクーデターを行うなど、戦争はおよそ8年にもわたって続きました。
そうしたなかで、1958年の選挙に勝利して大統領となったシャルル・ド・ゴールが、アルジェリアの独立を認めたのです。フランスがアフリカの独立を容認したことが、後の「アフリカの年」につながりました。
アフリカの年で独立した国々
アフリカの年では、全部で17もの国々が独立しました。1960年に独立を果たした国や、アフリカで起こったその他の独立運動について紹介します。
1960年に独立したのは、17カ国
アフリカの年とも呼ばれる1960年には、相次いで17カ国が独立しました。このとき独立したのは、主に旧フランス植民地・旧イギリス植民地・旧ベルギー植民地です。
なかでも、フランスの植民地はガボン・カメルーン・コートジボワール・コンゴ・セネガル・チャド・中央アフリカ・トーゴ・ニジェール・ブルキナファソ・ベナン・マダガスカル・マリ・モーリタニアの14カ国と、非常に多くなっています。
イギリスの植民地だったのは、ナイジェリアとソマリアの2カ国です。
ベルギーの植民地だったコンゴでは、黒人奴隷に対してとりわけ厳しい支配が行われていました。コンゴ共和国は、1960年に独立を果たしたものの、ベルギーの介入により5年にわたる「コンゴ動乱」が起こったことでも有名です。
アフリカの年より前に独立した国も
パン・アフリカニズム自体は、1960年以前から広がっていたため、アフリカの年以前に独立した国もいくつか存在します。
エチオピアは、アフリカで最も古い独立国として知られ、他国の占領をほぼ許していないのが特徴です。
解放されたアメリカの黒人奴隷が建国したリベリアは、アフリカでエチオピアの次に独立した国家とされています。その他、エジプトや南アフリカなど、比較的古くから独立していた国も多いのです。
アフリカでの独立運動が盛んになった1950年代には、リビア・スーダン・ガーナなどの国が独立を果たしており、アフリカの年に向けての動きが高まったのです。
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アフリカの年の後は、どうなった?
相次いで独立したアフリカの国々は、「第三勢力」と呼ばれるようになりました。アフリカの年が、どのような影響を及ぼしたかをチェックしましょう。
独立したアフリカ諸国は、第三勢力に
第二次世界大戦の終結後、アメリカを中心とした「西側諸国」と、ソ連を中心とした「東側諸国」による冷戦が始まりました。アフリカ諸国は、このどちらにも属さない第三勢力としての立場を取ったのがポイントです。
旧宗主国の支配から逃れて第三勢力となったアフリカは、大きな影響力を持つこととなりました。冷戦の状況下において、第三勢力の存在は、緊張を緩和する役割を担っていたのです。
インドやアラブなどのアジアの国々も、中立的な立場を取っていました。こうしたアフリカ・アジアにおける第三勢力は、米ソが対立するなかで重要な役割を果たしたのです。
負の遺産が多く残される
コンゴ動乱に代表されるように、独立したことが新たな紛争の火種になった国もありました。アフリカ諸国のなかには、アフリカの年での独立以来、大きな課題を抱えている国もあるようです。
アフリカの国境は、ヨーロッパやアメリカなどの国々によって定められました。民族の分布を考えず、緯線や経線をもとに直線的に分割したことは、独立後に国境をめぐる紛争が起こる原因にもなったのです。
また、独立したばかりの国には、インフラや教育などのシステムが整備されていませんでした。そのため、アフリカのなかには現在でも貧困や格差といった問題を抱えている国も多くあります。
次々に独立を達成したアフリカの年
1960年は、長らく欧米の植民地になっていたアフリカの国々が、一斉に独立した年として知られています。独立の機運は、それ以前から高まっていたものの、17カ国が独立したことを記念して「アフリカの年」と呼ばれるようになったのです。
独立運動の背景には、アフリカ人がアフリカ大陸を取り戻そうとしたパン・アフリカニズムがありました。奴隷として扱われていたアフリカ人が自ら立ち上がり、権利を取り戻そうとしたのです。
独立を果たしたアフリカ諸国は第三勢力として大きな影響力を持ったものの、その後は課題も残りました。インフラ整備の遅れや貧困などは、現在も続いている課題です。
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構成・文/HugKum編集部